あっちゃんの放言的日記

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<<   作成日時 : 2006/11/12 18:23   >>

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 実は本日の教会の説教題である。信仰には個人的な側面と共同体的な側面という二つの側面がある。教会はいわば地上の天国、地上における天国の大使館のようなものだという話だった。言わんとするすることは理解できる。私も教会に属しその重要性は言うまでもない。
しかしながら前回「信仰のファシズム」で述べたように教会の言葉がいつの間にか神の言葉と同一視され個人は教会に従うべきだということになれば話は別である。あくまでも教会は神の道具である。教会の権威とは神の権威と同一ではない。その一部を託されているのだ。
なぜそういうことに私はこだわるのか、それは教会が過去に犯した間違いをまた繰り返してはならないからだ。中世においては「教会の外に救いなし」とされ教会に逆らうものは異端者とされ断罪されていった。その精神は今なお教会に根付いているのではないか、私はそれを危惧する。

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2006/12/11 13:12
muzoboz1212
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muzoboz1212
2007/02/28 04:56

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
偶像っていうと仏像とか異教の神の像を連想しますが、実際にはもっと広義的な捉え方が必要と思います。単純に言うと、神様と自分の間の障害物それ全てが偶像かと……お金であれ趣味であれ牧師であれ教会であれ神様と一人の人間の間に割り込み、その人が神様に祈り言葉を聞く代わりに教会や牧師が意見を言い始めたらそれは偶像になると思ってます。救われた一人一人に万人祭司としての特権が、キリストの十字架上で贖いが完成した際に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた箇所で与えられた証です。教団や教会は今もこの過ちに気がついているか否かが問われていると思います。
陽路(ひろ)
2007/01/07 17:36

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